左遷や不遇は世のならい
世の中で楽な商売であるサラリーマンにとっても、厳しくつらい時代となった。もっとも、楽であったのは高度成長期の20年間ぐらいであろう。バブルがはじけてこの15年、楽を知らないサラリーマンも多くなっている。左遷や不遇どころか、人員整理や会社倒産というサラリーマンとっては、地獄の苦しみに遭遇しているひとも多い。
明治時代にも左遷された文士の公務員がいた。公務のかたわら、作品を発表したり、大学の臨時講師をしたという理由からである。男社会での妬みがこわいことは、現代でも神代の昔から変わらない。九州・小倉に左遷され、単身赴任したひとは、後に文豪と称された森鴎外である。
内村幹子「左遷鴎外」新人物往来社刊を、左遷されたと思っているサラリーマン、組織社会で苦しんでいるかたにすすめたい。苦学をしながらも順調に立身出世街道を歩んでいた森林太郎は、突然降格転任された。
文士として売出し中であり、軍医として中央での出世を信じていたので、挫折感にさいなまれた。軍職を捨て、文士専任も考えたが、当時は無頼の職と称されていたので、母のために思いとどまった。悩みは深いものだっただろう。中年にさしかかった人間鴎外が味わった苦しみと復活にかけた執念がみごとに描写されている。
二足のわらじが許されなかった作家も多くいる。気象庁課長であった新田次郎、広告会社博報堂の社員であった逢坂剛など熟年で要職を捨てた作家の枚挙にいとまがない。
作者の内村幹子にも注目される。役所を定年退職後、「今様ごよみ」で歴史文学賞を受賞、北九州を題材とした作品が多い。「武蔵彷徨」も九州を主舞台とした興味深い作品である。二足のわらじを穿かなかった作家なのかも知れない。
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