こらむネタ帳 久和山武輝

知人友人とのつきあい

 今年もまた新しい年がやってきた。昨年はまさに激動の21世紀の幕開け であった。今年はどんな年になるのだろうか。まったく予想もつかないが、 平穏な年になることを祈りたい。国際情勢、国内情勢ともカオスのまった だなかにはいったようである。
 日本では、右肩上がりが常識であった時代から、右肩下がりが常識とな り定着してしまった。このことを本当に理解するのは、しばらく時間がか かりそうだ。ともかく現在生存している各界の有力者・リーダーは、右肩 上がりの世代である。右肩上がりの呪縛から抜け切れないのである。夢を ふたたびで、なにをするか警戒しなければならない。こういう時代には、 独裁者が望まれ誕生することが過去の歴史は証明している。そうした事実 は、ちょっと本を読んだひとならだれでも知っていることである。しかし ながら、歴史はいつも繰り返しているのも残念なことだと思う。
 ふだん私たちが日常的につきあうのは、家族か友人知人である。せまい つきあいでしかない。インターネットの世代に生きていても、それが現実 である。家族とは、いやいやながら毎日接していても、友人知人とはこち らが行動をおこさなければ会うことはない。
 毎年暮れに「年越し蕎麦を食べる会」があり、参加した。旧職場の近隣 地域に住むひとの集まりである。10人足らずが集まり、地酒を少々飲み鴨 蕎麦を食べる会である。旧職場なので、話題も共通して年一度の楽しいひ とときである。地酒が一口はいると毎回主役になるひとがいる。夢中にな り、語っているのはワンパターンである。古典落語がまたはじまったと、 皆ニヤニヤしながら聴いている。ご本人は語り終えた後、どうしてこんな ことがわからないのだろうと、照れ隠しに顔を赤らめている。
 そうしたとき、ひとは変わらないものだし、変われないものだと皆思う。 それは、自分を見ているようで、楽しくもかなしいものである。友人知人 とのつきはたいせつにしたい。年に一度の会である。

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