はぐれ記者のマスコミ見聞録  植野満

「万馬券師の健さん」のこと

 毎週金曜日の夕方になると、自宅に「ケンニュース」という手書きの ”競馬予想紙”がファクスで届く。土、日曜日のねらえるレースを何本か 予想した個人情報紙だ。A4用紙に、なぜこの馬を推薦するのか、その理 由をびっしりと書いて分析してあり、”読者”は「なるほどね」とつい納 得させられてしまう。競馬記者も見抜けない穴馬をずばりと当てるので、 この予想紙には私も一目置いている。
 発行者は、通称「アタリ健」と呼ばれている競馬通だ。発行部数は20 部という超ミニの情報紙ではあるが、熱烈なファンもいるようで、ちょっ とでも発行(送信)が遅れると、「今週は出ないの?」と電話がかかって くるらしい。
「アタリ健」というペンネームは、「当たり券」と名前の「健」を組み合 わせてつけたもので、本人もけっこう気に入っている様子だ。スポーツ紙 に競馬ファンの代表として予想を投稿したり、競馬のホームページに原稿 を書いたりすることもあり、木曜、金曜の週末は事務所で1日中競馬研究 に没頭しているという根っからの競馬好き。私は「万馬券師の健さん」と 呼んでいる。
 もちろん、仕事もしている。新聞、雑誌、単稿本などの編集制作から印 刷関係まで幅広い業務を行っている小さな会社の社長業をこなしながら、 毎週予想紙を発行しているのである。仕事でのつきあいもあり、そのとき は「社長」と呼ぶ。だからといって、上下関係があるわけではなく、かな り年輩なのに「社長、あのね」と口調はタメ口。社長本人もエラそうに振 る舞うのは苦手のようだ。
 月に一、二度会うときは、「この間のレース取った?」というのがあい さつ代わりになっており、自分の予想で他人が馬券を的中させるのを至福 の喜びとしている欲のない馬券師である。予想紙も無料だ。
 健さんの競馬歴は古い。「もう44年になるのかな。20歳(昭和34 年)のときに第26回日本ダービーに行ったのが初めて。古山良司が騎乗 した3番人気のコマツヒカリが優勝し、二着はカネチカラ。配当は枠単1 −3で1800円ちょっとだったかな、普通の会社員の給料の3分の1を その日1日で稼いじゃたよ。雨が降っててね・・・」と記憶をたどりなが らの話は延々と続く。それから、健さんの”馬券師への旅”が始まったの である。
 とくに血統に詳しく、「競馬は血統重視」というのが持論である。  「でもね。新聞や雑誌でも外国産馬(アメリカなど外国で生まれ、日本 に輸入された馬)の名前は英語で書かれているから最初は読めなかった。 慣れてくるとなんとか読めるようになったけどね」。馬の名前を言えば、 その馬の父、母、祖父の名前が瞬時に出てくるほどの血統通でもある。ど んな血統が芝、ダートに強いか、重馬場の適性、荒れた馬場をこなす血統 など、すべて頭のなかにインプットされている。馬券を買うときには風向 きも検討材料にする、という。
 こうした「生きている血統辞典」をもとに、的中させた万馬券は数しれ ない。競馬界は、単勝、複勝、馬連、枠連、ワイドに加えて連単、三連復、 三連単(地方競馬で実施)という新馬券もスタートし、万馬券がひんぱん に出るようになった。
 健さんは新馬券が登場する以前に、年間28本の万馬券をゲットした実 績を持つ。それもねらって的中した馬券である。1日で100万円以上を 儲けたこともたびたびあり、これまで的中した最高配当は川崎競馬の三連 単で33万円。主な的中馬券はコピーして、読者にも提供するので間違い はない。
「最近は万馬券を取ってもあまり興奮しない。10万馬券でないとね」と、 1年に数本の万馬券を取って心臓バクバクのわれらを落ち込ませる。同じ 予想紙を参考に馬券を買っているわけだから、同じように儲けられるはず なのにと思われるだろう。
 実は馬券の買い方にも儲けのコツがあるようだ。健さんの買い方は、レー スによって単勝、複勝、馬連などを選んで、お金も儲かるように配分して 買うのである。つまり、より確実な馬券を絞り込んで購入するわけで、ド ブにお金を捨てるようなことはしない。遊び気分で競馬をやるのではなく、 真面目に買う。そこが私のような素人の競馬ファンと、馬券師の違いだ。
 馬券師といえば、どうもストイックなイメージがあるが、健さんは小柄 でおだやかな、そして人あたりのいい「愛犬命の普通のおじさん」である。 それでもスポーツ紙の一部の競馬記者にはモノ申したいことがあるという。 「穴馬券を予想する記者もなかにはいるけど、例えば10頭立てなのに9 頭に印をつける記者もいるでしょう。プロだったらもっと印を絞れと言い たいね。それに予想は的中しても、実際に買った馬券は的中していない。 その逆もある。ファンや読者に失礼だよ」
もちろん、健さんの予想も百発百中ではない。むしろ、はずれることの ほうが多い日もある。しかし、自分の予想紙通りに馬券を買うという点で はウソはない。適当に印をつけているかもしれないプロの競馬記者を信用 せずに、健さんの予想を参考にするのは以上のような理由からである。本 当の馬券師、プロはマスメディアではなく、競馬場や場外の隅っこにいる のではないだろうか。

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