なぜ小説を書くのか?その問いに、山本周五郎はきっぱりとこう答えている。 私がたとえば『将門』を書くといたします。私が『将門』の伝記の中で、私がこの分はかきたいと思うからこそ、--現在、生活している最大多数の人たちに訴えて、ともに共感をよびたい、というテーマが見つかったからこそ小説を書くわけでございます。詰がワキ道にそれるかも知れませんが、私は、自分がどうしても書きたいというテーマ、これだけは書かずにはおられない、というテーマがない限りは、ぜったいに筆をとったことがありません。それが小説だと思うんです。 それを読んで、現在、こういうアトム(原子)時代の生活をしながら、私の、その小説から、読者の共感をよぴおこすことができた、とするならば、それはまさしく現代小説でぁって、背景になっている時代の新旧は、問うところではない、と思うのであります。 「山本周五郎・全エッセイ集』、「歴史か小説か」、50ページ どうしても書きたいことがある。ともに共感してほしいことがある。そういうテーマが見つかったときに書くのである。これが作家の根本的な姿勢である。 世の中にはそういう衝動がなくても、こういう題材で書けばおもしろい小説が書けるな、読者にうけるだろうな、と簡単に書ける器用な作家がいるはずだ。それを完全に否定しているわけではない。 私は作家の原点は、この山本周五郎の言葉にあるということを言いたかっただけである。 作家の「これだけは書かずにいられない」という気持ちで完成した小説は、読み手に深い共感を与える。リアリティのある生活を描き出し、絶望や悲愴感を与えつつ、そこに希望を見いだすことができる。 原則として、小説は(読者に対して)多くの効用をもつものである。よき一編の小説には、活きた現実生活よりも、もっとなまなましい現実があり、人間の感情や心理のとらえがたき明暗塞がとらえられ、絶望や不可能のなかに、希望や可能がみつけだされる。 --こういうことが、決して誇張でないことは、多くの小説作者がその読者から受取る、感想や感謝の手紙だけを例にとっても、明らかに立証されるといってよいだろう. 「山本周五郎・全エッセイ集』、「小説の効用」、25ページ 小説はすばらしいものなのである。 ●前ページへ |