スティーブン・キングに学ぶ

   ホームレス寸前の生活から出発

 スティーブン・キングは、一時ホームレス寸前の生活をしていたことがある。その話に入る前に、日本の代表的『ホームレス作家 』(幻冬舎刊)の作者・松井計の話題について考えてみたい。作家を職業として見た場合、おおいに参考になるはずだからだ。

 松井計は、単行本を年に六~七冊前後出す作家であったが、本書出版の前年後半から家族ともども公団住宅を追い出され、本当の路上生活者となった。
 なぜそういう事態になったのか?本人はその原因を家庭の事情においているが、私から見るとそれはあくまでもきっかけに過ぎず、作家の多くが(そして出版関係者の多くが)、いくつかの悪い条件が重なれば、同じようにホームレスとなってしまう危険性を持っている。砂の家に住んでいるようなものだ。複数の条件がなくてもそうなるかもしれない、作家殺すにゃ刃物はいらぬ。電話一本あればいい。その電話で「この原稿はボツになりました」と言うだけである。
 松井計がホームレスになったきっかけというのは、家庭の事情で原稿が書けなくなったことだという。子供が生まれ、奥さんが育児ノイローゼのような状況になり、自分が家事・育児のほとんどを担わなければならなくなり、ほとんど原稿が書けなくなった。本書の前にようやく仕上げた一冊分の原稿は、出版不況のあおりを受け、版元が発行を中止してしまった。
 売れっ子作家を除く標準的な作家の経済状態をここで分析してみたい。わかりやすい例をあげてみよう。ある作家が書いた原稿が、一冊千円の本となり一万部発行されるとする。印税は十%だから、一点につき百万円の収入となる。これを年間六冊書いているとすると、年収は六百万円となる。多い少ないは別として、二ヶ月に一点の作品を仕上げなければならない。これが順繰りに回っている限りは、ホームレスになることはない。あるいは重版が期待できるような作品を書いている作家なら、追加の印税収入が期待できる。
 今は重版を期待できない作家を想定してみよう。突然、ある障害が立ちはだかる。それは作家自身の病気やケガかもしれない。家族のそれかもしれない。スランプかもしれない。版元の経営悪化や倒産かもしれない。そういう原因から、発行点数が一、二冊に激減したとしよう。原稿を仕上げてから本になって発行されるまで、半年くらいかかる(版元によってその日数は異なる)。百万から二百万の収入で、家族三人がどうやって暮らしていけるだろうか?この金額から諸経費を差し引くといくらも残らない。いつかはまたいい時代がやってくるかもしれないが、果たして持ちこたえることができるだろうか。
 読者の中には「それは売れない本しか書けない作家の責任だ」と思う人もいるかもしれない。たしかにそういう面があるのは事実である。だが「売れない本」イコール「芸術的価値や社会的価値のない本」とは言えない。少部数しか売れなくても、歴史的に価値のある本はたくさんあるし、後から評価される本もたくさんある。
 様々な事情から、松井計はホームレスになったが、彼は版元に自分の身の上をさらけ出す本の企画を持ち込んで、前掲書を発行することができた。天は彼を見放さなかった。せめてもの救いである。
 彼のケースは、出版関係者ならけっして他人事ではすまされない、身につまされる話である。私はあまりに身につまされるので、手元に置くのが苦しいと思い、すべて立ち読みで済ませようかとも考えた。が、多少でも彼の印税になると考え、買って帰った。
 今度は元気の出る話をしよう。スティーブン・キングの新刊『小説作法 』(日本語版、アーティストハウス刊)が十月末に発行された。これを読めば、超売れっ子作家、スティーブン・キングがいかにして生まれたか、彼がどういう発想や書き方をしているかがよくわかる。プロのもの書き志望者にはぜひ読んでほしい本である。
 「ローマは一日にして成らず」(古い諺を持ち出して、申し訳ない)というが、キングほどの才能をもってしても、即座に売れっ子作家になったわけではない。本書には彼の幼年時代から現在までの自伝と彼の文学論がユーモアたっぷりに語られている。
 キングは一九四七年生まれ。十歳から小説を書き始めたが、それは母親が一点につき二五セントで買い上げてくれた。二十三歳の時、大学で知り合った女性と結婚し、今に至っている。十代から結婚初期まで有名な出版社に原稿を送っても却下の通知をもらうのみで、たまに低俗と言われていた雑誌が採用してくれるだけであった。そういう芽が出ない時代を十数年続けている。
 新婚時代、キングは室温四十度という高温多湿・重労働の洗濯屋で働いた。それだけでは生活できなかったので妻も働いた。住居も、家賃が安く汚いアパートだった。子供が病気しても、薬代にも事欠くという生活だった。
 もしあなたが、近所の物音が聞こえるような汚いアパートに住み、妻子がおり、ひどい環境の職場でヘトヘトに疲れる生活を送っているとしたら、果たして原稿が書けるだろうか?私は自信を持って答えることができる。「書けません」と。
 キング一家は生活に困り、トレーラーハウス(車で引っ張って移動できる家でホームレスの一歩手前)に住んだこともある。そういう下積みの時代に、キングを支え続けたのは奥さんである。彼の才能を信じ、生活が苦しくとも、何一つ文句を言わなかった。逆に、落ち込んだキングを励まし、書くことを後押しした。
 妻・夫の役割は重要である。「悪妻を持つと哲学者になれる」と言われる。ソクラテスの妻は悪妻で有名だ。トルストイの妻も同じで、そのために彼は家出して放浪することもあったらしい。天才ピアニスト、ホロヴィッツは、悪妻のために精神的に消耗しきった。キングの妻のように、相手を高めてくれる存在であれば最高である。独身の読者諸氏は、配偶者選びには注意したほうがよいだろう。かくいう私の場合は・・・やめておこう。
 キングがトレーラーハウスの洗面所に机を持ち込み、コツコツと書いた作品が、後に三〇〇万部の大ベストセラーになった『キャリー 』である。ある有名な出版エージェントが取り上げ、有名な出版社に持ち込んだ。二十六歳の時である。この時の版権が四十万ドルで、その半分がキングの手に入った。今のレートで計算しても二〇〇〇万強になるが、当時の価値からするとその三倍くらいになるだろう。
 そこから作家として、生活の苦労はなくなったが、いい作品を書くための苦悩は続いた。その話はここでは割愛するので、本書で読んでいただきたい。
 アメリカでも小説講座と言えば、文芸評論や同人会のような相互批評が中心のようだが、キングはそういうものは作家が実際に書く上でほとんど役に立たないと言う。同感である。ある日本の作家が、小説入門書を出しているが、それはイギリス文学がどうの、ロマン派の誰それがどうのこうのという調べればわかる話ばかりである。そういう話が好きな人は文芸評論家か学校の先生になったほうがよい。その手の知識は、知ったからといって小説が書けるわけではないし、上達するわけではない。
 キングの文学論は非常に実践的である。読んでみて自分には合わないという部分もあるかもしれないが、必ず得るところがあるだろう。本書が出た前々年、生きていたのが奇跡と言われるくらいの大事故に遭い、周囲の支えで回復し、本書を書き上げたという。それだけに深い思いが込められている。
最後に彼のメッセージで締めくくりたい。
 「人は誰でも文章を書くことができるし、書くべきである。一歩踏み出す勇気があれば、きっと書ける。文章には不思議な力がある。あらゆる分野の芸術と同様、文章は命の水である。命の水に値段はない。飲み放題である。心ゆくまで、存分に飲めばいい。」(前掲書)