丸山健二に学ぶ

   労働争議の最中に書き、芥川賞受賞

 二十二歳で芥川賞を受賞。しかもそれが初めて書いた小説だというのだから、よほど才能と運に恵まれていたにちがいない。私の手元に丸山健二自らが受賞作品を書いた頃の自分の環境について書いた記事がある。
 当時、通信課員として働いていた会社は経営不振で吸収合併騒動の最中であった。会社が七〇〇名の人員整理を組合に申し入れたために、社内は大騒ぎだった。
 その最中に丸山健二は小説を書き始める。そのときなぜ小説を書く気になったのか、本人もわからない。彼は勤務時間内に、騒々しい電信室の中で、一日に三枚くらい書いたと語っている。
 そうやって一〇〇枚くらい書き上げ、「文学界」の新人賞に応募した。そのときまで、彼は「文学界」を読んだこともなかったし、純文学や大衆文学といった区別さえも知らなかった。彼はいわゆる「文学青年」とはまったく別のタイプであった。
 応募作品はみごと「文学界新人賞」を受賞した。宮原昭夫との同時受賞でした。その作品が同時にその年の芥川賞を受賞するという幸運にも恵まれた。そこから彼はプロ作家への道をスタートさせたのである。
 丸山健二が自分の作風についておもしろいことを書いている。彼は一度、自分のサラリーマン時代の体験を書いてみたことがある。会社の環境や人物像をはっきりと覚えていたにも関わらず、作品の出来は非常に悪かった。それでもう二度とそういう小説は書かないと決心した。自分の場合、体験にこだわらない虚構の小説の方が合っていると、その時気づいたということである。
 私も自分の体験を基礎にすると、どうも不満のはけ口的な文章になってしまうので、最初から完全なフィクションで書く方が楽しく書ける。
 作家は主に二つのタイプがある。他人の作品をたくさん読み、そこからいいものを吸収しながら自分の作風を完成させるタイプが一つ。他人の作品はあまり読まず、ひたすら自分の世界の中で作風を完成させていくタイプが二つ目である。丸山健二はまちがいなく二つ目のタイプである。

 要はどちらが自分に合うかの問題だ。いい・悪いの問題ではない。
 丸山健二の作家論ともいえる『まだ見ぬ書き手へ 』(朝日新聞社刊)という本が出ている。一人の作家の生き方、考え方として非常に参考になる本だ。

彼は非常に強烈な個性を持った作家である。書き手の中には、共鳴する人、反発する人がはっきり分かれると思う。みなさんもぜひ読んでいただきたい。

 丸山健二の経歴は次の通り。

 昭和十八年十二月、長野県生まれ。仙台電波高〔昭和三十九年〕卒 。

高校卒業後、通信士として会社に勤務。

昭和四十一年「夏の流れ」で文学界新人賞を受賞、あわせてその年の芥川賞を受賞。以後、作家生活に入り「正午なり」「僕たちの休日」「黒い海への訪問者」「雨のドラゴン」「火山の歌」「ときめきに死す」「群居せず」「月に泣く」「惑星の泉」「千日の瑠璃」「争いの樹の下で」などの作品を発表。

(日外アソシエーツ、「Web WHO」参照)