池波正太郎に学ぶ 3

   池波正太郎的気配りとは 

 人を楽しませる小説を書く、それが池波正太郎の根本にある姿勢だった。

「これは読者に喜んでもらえる良いもの、面白いものを書きたい気持ちから、私のいろいろと考えたことである」(『私の歳月 』三二〇頁、講談社文庫)

 単純に「人を楽しませる」と言うが、それはそう簡単なことではない。

 かつて池波正太郎担当の編集者で、現在は作家として活動している筒井ガンコ堂が、池波の作家としての姿勢をずばりと表現している。

 「一つだけ言っておきたいことがある。それは純粋にエンターテインメントを書くと決めた池波正太郎の覚悟、自制心についてである。池波作品の特徴はいろいろあるが、読み易いということ、面白いということ、そして読後が爽やかであることなどをまず挙げていいだろう。それらを達成するために作家がどれほどのものを捨て去ったかということを、私は時どき考えることがある。・・・私たちの想像を絶する努力・工夫があったに違いない。その読み易さを読み違えて、ある種の人たちは「軽い」とみる風があったが、池波正太郎は百も承知だったのだ。・・・・作品こそすべて、読者こそすべて、都会人の照れもあっただろうが、池波正太郎が厳しく定めた小説作法がそこにある。いわば職人に徹していた。その自制の見事さを凄いと思う」(『新・私の歳月 』、二七一~二七二頁、講談社文庫)

 ある作家が読者の娯楽のためにおもしろおかしい小説を書いたとしても、その作家の世界観や人生観は無意識のうちに作品の中に染み込んでいくものである。読者はそれを敏感に感じ取る。小説を楽しみながら、知らず知らずのうちにそれを吸収していく。むりやり説教する必要もないし、哲学を持ち出す必要もない。エンターテインメントとはそういうものだ。

 むしろ芸術家気取りで中身のない小説を書くほうが滑稽以外の何物でもない。世の中にはそういう作家も多いし、そちらのほうを高く評価する人もいる。「世の中には良い作品か悪い作品かのどちらかしかない」。表面的な要素で作品を判断することは愚かなことである。

 池波正太郎は気配りの人であった。それは妻、母、義母への気配りからタクシーの運転手、旅館の仲居、料理屋の板前、編集者など周りの人すべて対してであった。彼の気配りは表面的なものではなく、相手の立場を思いやる深い配慮があった。例えば、嫁姑の間が団結してうまくいくように、常に自分が「暴君」として振る舞った。そうしておいて一年に一度は家族全員で旅行に出かけた。

 池波は作家の資質についてこう言っている。

「生活でも仕事でも、絶えずこまかく気を遣っていないと駄目なんだよ。伸びて行かない。ことに時代小説というものはそうだ。時代小説では出て来る人間がみんなお互いに気を遣っていないと時代小説にならない。ここが肝心なところだ」(『私の歳月』二八九頁、講談社文庫)。

 「作家というのは世俗のことに超然としていて、酒くらって好きなものを書いてりゃいいと・・・・だけど、これでは時代小説は書けないんだよ。作家は「無頼の徒」であれというのはあくまでも精神の次元のことですよ」(前掲書、二九〇頁)

 作家のイメージとして”酒呑んで酔っぱらって暴れて常識知らずで放浪癖があって”というものを持っている読者諸氏がたくさんおられるに違いない。それは「精神の次元」の話であって、実際にそういう生活をしている作家は非常に少ない。

 ここまで三回「池波正太郎の素顔」と題して書いてきた。私は学ぶべきところ大であったが、読者諸氏はいかに。