夢幻流もの書き道場  上山明彦

タブーなき時代の題材

 次回井上ひさしがいかにして作家になったかについて、詳しく紹介しようと思うが、彼の伝記を読む中でなるほどど思ったことがあるので、今 回はそれについて紹介したい。
 普通、世の中にはタブーというものがある。封建時代では「お上」を批 判することはタブーだった。江戸時代、「黄表紙」と呼ばれた物語の作家 がそのタブーに挑戦し、人気を得た。黄表紙作家は弾圧を受けるというリ スクを覚悟していた。黄表紙では権力を持った「お上」を笑いモノにする ことで痛烈な批判とし、読者の共感を得ていた。
 明治・大正・昭和前期も「お上」つまり政府を批判することがタブーの 時代があり、文学や他の芸術の分野でそれに挑戦する芸術家が多数いた。  かつて政治家、裁判官、検察官、弁護士、刑事、警察官など法律を守る 立場の人々が罪を犯すケースは珍しく、その犯罪を描くこともかつてはタ ブーへの挑戦であった。今ではそういう人々が至る所で犯罪者となって社 会的制裁を受けている。こういう題材もまた珍しくも何ともない時代になっ てしまった。
 影響力の大きさから世の中の手本となるべき新聞・テレビ・雑誌などの ジャーナリズムもまたしかりだ。かつてはあるジャーナリズムの陰謀や実 態を描くことはタブーへの挑戦だったかもしれない。それが今では「やら せ」、誤報、誹謗中傷が日常茶飯事になり、もはや珍しくも何ともない時 代になった。フジテレビの「王監督の便器事件」は、もはや彼らの感覚が 麻痺してしまっていることを物語っている。ああいうものは制作の段階で ボツになるべきものである。
 こうした政治的法的なタブーだけでなく、道徳的なタブーもいろいろあ る。昔「不倫」は犯罪であった。結婚前の肉体関係もタブーだった。そう したタブーにたくさんの作家・芸術家が挑戦し、話題となった。時には「表現の自由」と絡んで裁 判沙汰となった。
「不倫」については『失楽園』に見られるように、数年前まではまだタブー だっと言えるかもしれない。結婚前のセックスについては、中学生までが 援助交際という名の売春を平気で行う時代になり、「過激な性描写」があっ たとしても、珍しくも何ともない時代になった。
 性道徳についてはごく普通の人々の中でもあらゆることがタブーではなくなっている。 フリーセックス(この言葉自体が死語)、売春、SMなど、ありふれた時代になっている。 田口ランディのデビュー作では、こうした性描写にオカルト宗教を加え、「何でもあり」のストーリーとなっているが、 そこまで描かないと話題にならないということなのだろう。
 いわゆる「お笑い」の内容も時代とともに質的に変化した。昔の「笑い」 は、威張っているだけで人間的には無能な政治家・法律家・警察官、金持 ち、会社の上司など、社会的に力や優位な立場を持っている人を笑いのネ タにしてきた。それが今の「お笑い」では多くの場合、貧乏、老齢、低学 歴、地方など、社会的に不利な境遇をあざ笑うほうに向いている。(私に とってはそういう笑いはおもしろくも何ともない)。
 現在の日本は、まさに「タブーなき時代」なのだが、こういう時代の作 家は何を題材に描けばよいのだろうか?きっと今世間にあふれていること と反対のことなのだろう。そんなことを井上ひさしの伝記の中で考えさせ られた。



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