戦争とノンフィクション−−ジョン・トーランドのこと
広島・長崎への原爆投下、終戦という日が来るたびに、あるいは教科書の戦争記述が問題になるたびに第二次世界大戦のことを考える。 メディアでは、政治家やイデオロギーに凝り固まった人たちが、感情論としか思えないような論法で自分の意見を述べていることにうんざりさせられる。 Aという政治家は、「中国や韓国のいいなりになるべきではない。そうなれば、彼らは日本が言うことを聞くと思いこむ」と言っていた。これは子供のケンカの論理だ。 問題は、どちらの意見が歴史的かつ国際的に正当性を持っているかである。A氏からは自分の意見の根拠となる事実もデータも示されていなかった。 東京裁判とA級戦犯について反論する国会議員もいたが、その根拠について詳細な事実の提示はなく、ほとんど感情論に近いものだった。 国際的かつ歴史的に結論が出ている問題をひっくり返そうというのは、必ずしも悪いことではない。ただそれを本当に実行しようと思うならばそれだけの証拠を提出して反論しないと、誰も納得してくれない。そんなこともわからないのかと、あぜんとしてしまった。 政治の話は、ここのテーマではないのでこれ以上触れない。政治にもイデオロギーにも関わりたくない。ここではノンフィクションについて考えてみたい。 私はこの夏読破したいと思っている本の中に、ジョン・トーランド著、『大日本帝国の興亡 』(全5冊)がある。毎日新聞社版と早川書房版がある。ジョン・トーランドは、1912年生まれのアメリカ人。第二次大戦中は陸軍諜報部に所属。日本に駐留していたこともある。戦後はノンフィクション作家として活躍。1971年に「ピューリッツァ賞」を受賞している。奥さんは生粋の日本人である。 トーランドのジャーナリストとしてのすばらしさは、自分を極端なまでにイデオロギーや偏見から遠ざけた上で、事実を調べ上げ、自分なりの分析を与えようとしたことだ。人種的偏見がないのは、日本人女性と結婚していることでもわかる。当時のアメリカでは人種差別が強かった上に、日本人は敵国人だったのである。 この、『大日本帝国の興亡』は、日本がなぜ戦争に踏み切り、何を行ったかについて、資料収集から日本の関係者へのインタビューまで5年の歳月をかけ克明に書き上げたものである。 できるかぎり事実を調べ上げるというのは基本的なことだが、それが徹底的に行われている。まずそれがすごい。 トーランドがこの本を発行してから、アメリカ政府や知識人やマスコミからは非難が浴びせられた。アメリカ政府にとって不利な記述があること、日本政府と軍を弁護する内容が含まれていることが、その主な理由だったようだ。 トーランドはただ、事実は事実として書くというジャーナリストの立場から書いただけなのである。それはイデオロギーにも、政治的駆け引きにも、自分の経済的利益にも左右されるものではない。それが本来のジャーナリストの立場なのだ。それを貫いたトーランドの姿勢がすごい。 すでに評価が固まっている事件や出来事に対して、それをひっくり返そうとするなら、膨大な取材活動、分析作業が当然必要になるだろう。幸いなことに、トーランドがそれをやってくれている。当然、彼の本のすべに賛同できない人もいるだろう。 だが、彼に感謝すべきなのは、議論の材料となるこれだけの著作を残してくれたことである。日本人が第二次大戦の歴史を整理し、分析できるようになるには、あと数十年以上かかるだろう。日本人はまだ客観的にあの戦争を見たり分析したりできないからだ。そんな中で、トーランドの果たした役割は非常に大きい。 私は今日現在、まだこの本を読破していない。そのため詳しいレビューを書けないのが残念だ。皆さん、いっしょに読破してみませんか? (2005.8.17) |