こどもの視点、おとなの視点
2005年の夏、やなせたかしの講演を聞く機会があった。そのことは本コーナーで先に述べた。 ふだん童話・児童文学作品を指導したり審査していて、いつも考えさせられるのは視点の問題だ。童話や児童文学作品を評価するのはいつもおとなである。こどもに本を買ってあげるのはおとな、図書館に並べる本を選ぶのもおとな、公募で優秀作を決めるのもおとなである。 そういう条件で選ばれる本というのは、ほとんどがおとなの視点から「優れている」と評価された本である。 実際に図書館や書店に並んでいる本を読んでみると、おとなの視点から「こういうこどもであってほしい」とか「こどもはこういう話に感動し、感性が磨かれるはずだ」と思われる本が多い。有名公募の受賞作を読んでも、「おとなの視点だなあ」と感じさせる作品が多い。中には母親の視点から書かれた本もある。「おかあさんはあなたのことをこんない大切に思っているのよ」という本だ。 私はこういう本を否定しているわけではない。当然必要だと思っている。無責任にこどもに本を与えるよりも、教育界や世間が高く評価する本を与えることも必要だ。こどもの将来を見通して、楽しいこと、悲しいこと、苦しいこと、怒りたいことがあり、それとどう向かい合い、消化し、乗り越えていくかについておとなが教えていかないといけない。働くことの意味についても、おとなが教えていかないといけない。童話・児童文学はその優れた媒体となる。それは疑う余地がないことだ。 私が危惧しているのは、本当にこどもが読みたい本、こどもの視点から書かれた優れた本が正当な評価を得ているのか?という点だ。昨夏のやなせたかしの講演は、私の疑問にはっきりとした回答を与えてくれたので、ここで詳しく皆さんにもぜひご紹介したいと思った。絵本・童話・児童文学作家をめざす人には参考になるだろう。 やなせたかしは、1978年『やさしいライオン ところが編集者をはじめ出版社の反応は散々だった。「先生、『やさしいライオン』というすばらしい話を書いたのに、なんでアンパンマンというくだらない話を書くんですか。あんぱんが空を飛んで、顔をたべさせるなんてばかばかしい話はやめてください」と。それで書くのをやめた。 5年が過ぎたある日、馴染みの写真屋さんに行くと、店主が言った。「先生、『アンパンマン』という本を書いているでしょ。うちの息子が大好きで、毎晩何度も読んでくれってたいへんなんですよ。もっとたくさん書いてください」。幼稚園に行っても、先生たちの態度がガラッと変わった。『アンパンマン』を書いた先生ということで、歓迎されるようになった。 同じこと、日本テレビのTプロデューサーが幼稚園に行ったとき、ある本だけがボロボロに破れているのに気がついた。『アンパンマン』という絵本だった。ほかにもたくさん絵本がある中で、この本だけがボロボロになるまで読まれていた。「何度買い換えてもボロボロになるんですよ」と、保母さんが言う。 「そんなにこどもに人気があるのなら、テレビでもぜったい受ける」と確信したプロデューサーは、テレビ局に企画書を出した。 それに対する上部の反応は冷やか。「いったい君は何を考えているんだ。いまどきのこどもはこういうのはおもしろいと思うかね。受けるはずないよ」ということで採用されなかった。 Tプロデューサーはあきらめずに翌年、翌翌年も企画書を出した。それはなぜか?Tプロデューサーのこどもが幼稚園に通っていて、『アンパンマン』の人気がよくわかっていたからだ。 とうとう日本テレビの上層部も根負けした。「君がそこまで言うのならしかたがない。でも局は1円も出さないよ。スポンサーもつかないよ。製作資金は自分で都合しなさい。それと日本テレビの中で一番視聴率の悪い魔の時間帯がある。月曜日の朝5時だ。何をやっても失敗するという時間帯だけど、その時間帯ならやってもいいよ」という回答があった。 Tプロデューサーは500万円の資金を借金して、製作を開始した。昭和63年(1988年)10月のことである。「この時間帯は何をやっても当たらないと言われています」ということで、「製作現場はお通夜のように静まり返っていました」という。 平成元年となった3月。突然文化庁から電話がかかってきた。「アンパンマンが優秀番組賞を受賞しました」。賞金はなんと500万円。借金が返済できた。日本テレビの上層部の態度もガラリと変わった。「いやあ、やなせさん、まさかこんなことになるなんて思っていませんでした。我々の考えが間違っていたようです」。 そしてあっという間に『アンパンマン』は全国放送になった。 成功を収めた『アンパンマン』だが、普通に考えるならば『アンパンマン』は出版されただろうか?放映されただろうか?いつ潰されてもおかしくない状態だった。そういう困難を突き破る強力なオーラを持っていたとしか考えられない。そう私は思っている。 ようやくおとなの世界で認められた『アンパンマン』だが、放送時間帯は全国バラバラ。人気アニメは通常こどもたちが見やすい時間帯に設定されているが、『アンパンマン』だけは今でもバラバラだ。東北地方は朝5時から。北海道。九州沖縄は朝6時から。それでもこどもたちは朝早起きして見ている。こういう悪い時間帯で人気が出た番組は、ほかにはない。 「どんなに時間帯が悪くても、おもしろければ人気が出る」ということをやなせたかしは証明した。 ある日、『アンパンマン』のテーマソングがラジオで流れた。「何のために生まれて、何をして生きるのか。わからないまま生きる。そんなのはいやだ」。車を運転しながらそれを聞いていた愛知大学の哲学の教授がいた。これは哲学の永遠のテーマだ。それがこどのもための歌の中にある。教授はびっくりしてしまった。 「幼児の歌をつくるとき、こども扱いはしない。幼児はむずかしい言葉でもなんとなくわかる。そのまま理解する。だから私は幼児でも容赦しない。自分の考えていることをそのまま伝えることにしているんです」。 ここから私の経験談。娘が2歳のとき、スカイパーフェクト・テレビで『アンパンマン』の再放送があった。退屈しているので「これなら見せてもいいか」と思って見せたところ、いきなり娘が絶叫した。「アンパンマンがんばれー!」。それまでこんなに叫んだことはなかったのである。それからはずっとアンパンマンファン。もう4年も続いている。 これほどまでに幼児の心を捉える『アンパンマン』の秘密とは何だろう?それ以来、私なりに分析し、それなりの答えも得ているのだが、まだ他人に対して説得力のある理論まで整理できていない。これは引き続き研究していきたいと思う。何か重要なメッセージが隠されているのではないかと思う。侮るなかれ『アンパンマン』。 |