夢幻流もの書き道場 上ノ山明彦著

作家たちの執筆スタイル

 最近、受講生から二つの質問をもらった。本人には直接回答したが、他の人にも共通するような内容だったので、ここでも私の考えを述べておきたい。

 名作を書くということについて
 いきなり名作を書こうとしても、そう簡単に書けるものではない。狙って書けるものではない。それはあくまでも結果である。精魂込めて書いた作品が、結果として賞を取ったり、名作として評価されているわけである。それはどんな一流の作家の場合でも同じだ。
 それに加えて、名作を書こうとか賞を取ろうとかいう気負いは、作品に逆効果である。自分の想いを作品に込めて書くことが大切なのである。

 書き手が何を何を思い、何に重きを置くかは、それぞれ違う。奇抜なストーリーに置く人もいれば、藤沢周平のように、平凡な庶民が自分ではどうしようもない運命に翻弄されながらも賢明に生きていく姿に想いを置く人もいる。藤沢周平の作品は、彼がそういう人生を経験したことが色濃く反映されている。そういう人への共感があるのだ。
 司馬遼太郎は自分が兵士として戦争を体験したとき、日本はなんでこんなバカな戦争をしたのか?日本人はどうしてこうなってしまったのか?そもそも日本人とは何か?それを知りたくて歴史をたどっていった。それが歴史小説を書く最大の動機となった。
 しかしながら直木賞受賞作は忍者小説『梟の城』である。忍者に新聞記者としての自分の姿を重ね合わせ、その共感と切なさを描いたわけである。そういう想いが大切なのである。
 早乙女貢は、逆賊の汚名を着せられて悲惨な目に合った会津藩士の無念を晴らしたいという一心で、たくさんの小説を書いている。
 津本陽は武士道とは何か、武士とは何かについて様々な角度から小説を書いている。
 勝海舟の先見性に深い共感を抱いて書いた作家もいる。
 ストーリーや題材が似ていても、いわゆる「切り口」が違うのである。「切り口」とは単なる「見方」ではなく、「感情移入の仕方」とでもいったほうが合っていると思う。

 先に構想を固めるか、書きながら考えるか?
 ストーリーや登場人物といった構想を固めてから書くか、先のことは決めず書きながら考えていくか?作家たちはどちらの方法を取っているか?
 私が調べた結果中では池波正太郎と佐藤さとるだけが、書きながらストーリー展開を考える作家だった。ほとんどの作家はあらかじめだいたいのあらすじを考えてから書き始めている。もちろん途中で展開が変わることもあるが、初めに骨格があるかないかではまったく異なる。
 書きながら考えるのは一見「かっこいい」であるが、下手すると話に矛盾が生じてしまいる。登場人物の人間関係が前半と後半で違っていたり、背景が違っていたり、いろいろつじつまが合わなくなってしまう恐れがある。
 そういうリスクがある上に、おもしろい展開を考えなければならないというプレッシャーがある。よほど自信がなければできないことだ。
 池波正太郎は相当記憶力がよかったのではないかと思う。もちろんアイデア力も豊富だった。彼と対談した作家が、「そんなことができるのは君だけだ」と言っている。
 結局自分に合った方法を取るのが一番良いのであるが、構想はしっかり固めてから書き始めるのがたいていの人に合った方法ではないだろうか。そうした上で、書きながら展開を変えていくのはいっこうに問題ない。そのとき矛盾が生じないかよくチェックすべきである。
 参考になれば幸いである。

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