小説や童話を構成している要素を知ろう(3)−心理描写 心理描写というのは、人の心の中の様子を描くことです。だれだれがああした、こうしたというのではなく、だれだれがこう思った、こういうふうに感じた、ということを描き出すことです。 わかりやすいようにたとえ話をします。 数人の人が同じ映画館で、同じ時間に、同じ映画を見たとしましょう。その映画は悲しい恋の物語でした。 そのとき一人ひとりの思うこと、感じることは同じになるでしょうか? まあ、一見同じように「この映画は悲しい」と感じることでしょう。 それじゃあ、小説の中でそういう場面があった場合、「そこにいた人たちは、みんな悲しいと思った」と書けばよいかというと、そうではありません。 一人ひとりの「悲しい気持ち」をもっと詳しく調べていくと、それぞれ違いがあることに気づくはずです。たとえばこうです。 ある19才の女性は、好きだった恋人と別れたばかりでした。彼女は自分の今の姿と、映画に出てくるヒロイン(主人公の女性)とを照らし合わせ、まさに自分のことのように嘆き悲しみました。映画の上映中、涙が滝のようにあふれてきて止まりませんでした。 これは深い深い悲しみの状態ですね。 ある23才の男性は逆に、新しい恋人ができたばかりでアツアツです。すべてうまくいっています。彼はこの映画を見ても、悲しい話であることはわかりましたが、実感がわきませんでした。自分とはまったく違う世界の話だと思いました。 これはなんとなく悲しいと感じている状態ですね。 ある70才のおばあちゃんもこの映画を見ていました。おばあちゃんは昔自分もそういう悲しい恋をしたことがありましたが、今ではすっかり昔の切ない思い出に変わっています。「たしかに悲しいこともあるけど、時間がたてば傷もいえるものだ。人生というのは、そういうもんだよ」と冷静に見ていました。 これは「悲しい」というより「切ない」という状態ですね。 こうやって詳しく調べていけば、同じ映画を見た一人ひとりが、それぞれ違った「悲しい気持ち」を抱いたことがわかるはずです。 それどころか、「悲しい映画を見たらおかしくておかしくて大笑いした」というひねくれ者がいるかもしれません。 小説の中では、いつも心理描写を詳しく書かなければならないわけではありません。時にはさらりと流し、時には隅の隅まで細かく書くことになります。 ただどんなときでも、紋切り型で「A子はとても悲しかった」と書くのはやめるようにしましょう。ほんのちょっとでいいから工夫して、自分の表現力を養うようにしましょう。 とはいうものの、プロの作家の中でもそういうふうに書いている人がいます。いわゆる「ケータイ小説」では、克明な心理描写は必要ないようで、「誰々は悲しかった、嬉しかった」という幼稚な描写で済ませています。それでもプロになれるのですから、私の言葉にはあまり説得力がありませんが、その手の作家はそのうち泡のように消えてなくなるだろうと思います。ぜったい手本にはしないようにしましょう。 小説や童話はストーリーの展開にそって話が進みます。登場人物の心理状態も、そのときの出来事によって少し変化します。ときには劇的に変化します。 たとえば、K男がA子にプロポーズしていたとしましょう。A子の一言一言に、K男の心は揺れ動きます。同じようにK男の一言一言にA子の心も揺れ動きます。最後にK男が決めのセリフをはきました。A子の心はその一言で決まりました。 こういう場面のように刻々と移り変わる心の中を正確に描き出し、読み手に伝えることができたら、書き手としてはどんなに楽しいことでしょう。 そうなるためには、心の中に1枚のスクリーンを用意しておます。それをいつも真っ白の状態にしておき、他人の心をそのままの状態で受け止めて、そこに描き出す、という感性が必要だと私は考えています。 相手の心理状態を「良い」とか「悪い」とか評価を下してはいけません。「ああ、こういう気持ちなんだな」と理解し、「その理由はきっとこうなんだろうな」と、分析するようにしましょう。 人の心理は行動や表情、セリフにも表れます。人物描写やセリフと心理描写をうまく組み合わせることによって、ストーリーが生き生きと展開していきます。次回は別の要素について勉強してみましょう。 (2007.11.3) |