物語(ものがたり)の視点を知ろう (2) まず「私の視点」です。常に主人公の目を通してしか物事は見えません。自分の感情はわかっても、相手の感情は推測するしかありません。 <例1 「私の視点」から書いた文章> いつも学校へ通う道が、いつもと違っていた。私の目に映る空がまぶしいくらいに輝いている。地面に目を移すと、アルファルトさえも白く光って見える。傍らに生えている雑草の緑が目に迫ってくる。 遠くへ目を移すと、同じクラスの佐藤が足を投げやりに動かしながらゆっくり歩いている。私はいつもの速さで歩いている。自然と佐藤にグングン近づいていく。すれ違う寸前に佐藤が気が付いた。 「あ。おまえか。おはよう」 と佐藤が言う。 「おはよう」 と私も応える。佐藤の顔を見ると、目の下にクマができている。目にも輝きがない。制服も何かおかしい。よく見ると、一番上のボタンが取れている。 どうしたんだろう?私は佐藤の目をじっと見た。 主人公は「私」ですから、自分の目に映る物事、感情をそのまま描写しています。 これに対して、「神様の視点」から書く場合は、ここに登場する二人を頭上から、隣から、ときにはそれぞれの心の中から物事を描写します。「神様」である書き手は「何でもお見通し」です。 <例2 「神様の視点」から書いた文章> 太郎の目には、いつも学校へ通う道がいつもと違っていた。目に映る空がまぶしいくらいに輝いている。太郎が地面に目を移すと、アルファルトさえも白く光って見える。傍らに生えている雑草の緑が目に迫ってくる。 太郎はそう感じていた。彼が遠くへ目を移すと、同じクラスの佐藤が足を投げやりに動かしながらゆっくり歩いていた。太郎はいつもの速さで歩いていた。二人はグングン近づいていった。 すれ違う寸前、佐藤が太郎に気が付いた。 「あ。おまえか。おはよう」 と佐藤が言う。あ、ちょっとまずいところで会ってしまったな、と佐藤は思った。さっき鈴木とケンカしたことに気づかれるかもしれない、と心配した。 それが驚いたような言葉に表れてしまった。 「おはよう」 と太郎も応える。太郎が佐藤の顔を見ると、目の下にクマができている。目にも輝きがない。佐藤の制服も何かおかしい。よく見ると、一番上のボタンが取れている。 どうしたんだろう?と、太郎は思った。二人はお互いの目をじっと見た。 違いがわかっていただけたでしょうか? 上の二つに対して、「神様の視点」ではあるが「主人公の肩の上」に視点がある場合は、両者を統合した描写になります。 基本的な流れとして、「主人公」を通してしか物事は見えませんし、相手の感情も主人公が推測するしかありません。 ところが必要に応じて「神様の視点」に変わり、登場人物の横や頭上から話をすることもあります。 <例2 「神様の視点」ではあるが「主人公の肩の上」に視点を置いて書いた文章> 太郎の目には、いつも学校へ通う道がいつもと違っていた。目に映る空がまぶしいくらいに輝いている。地面に目を移すと、アルファルトさえも白く光って見える。傍らに生えている雑草の緑が目に迫ってくる。 太郎はそう感じていた。遠くへ目を移すと、同じクラスの佐藤が足を投げやりに動かしながらゆっくり歩いている。太郎はいつもの速さで歩いていた。自然と佐藤にグングン近づいていく。すれ違う寸前に佐藤が気が付いた。 「あ。おまえか。おはよう」と佐藤が言った。 「おはよう」と太郎も応える。佐藤の顔を見ると、目の下にクマができている。目にも輝きがない。制服も何かおかしい。よく見ると、一番上のボタンが取れている。 どうしたんだろう?と思った。そして佐藤の目をじっと見た。 「神様の視点」では書き手が「何でもお見通し」ということになってしまい、緊迫感が出てこない場合があります。 そういうとき、この「主人公の肩の上」に視点を置くと、 「私の視点」に近い状況になり、読み手に何が起きるかわからない緊迫感を与えることができます。 物語を書く場合、どの視点を採用するかで雰囲気がまったく変わってきます。ストーリーの迫力や面白さにも大きく影響します。 それじゃあ、どの視点を選ぶのがよいでしょうか?それは最終的には書き手の判断ですが、一般的に言われていることを述べておきましょう。 書き慣れていない頃、つまり初級者の頃は「私の視点」で書くほうが、現実味があり迫力がある文章を書くことができると言われています。 私もそう思います。自信がなかったり、判断に迷う場合は「私の視点」で書くことをお勧めします。そうでない場合は、書こうとしている作品に もっともふさわしい視点を選んでください。 (2007.2.9) |